1. 言葉が出なくなった日
もともと、子どもの頃から吃音がありました。言葉が詰まる、思ったように出ない。それを抱えたまま大人になりました。
新卒で入社した会社で、8年目に転職しました。そこから4社を転々としました。
合う場所を探していたつもりで、毎回、違う場所に着地していました。頑張れば、どこかで噛み合うと思っていたんです。
ある日、言葉がまったく出なくなりました。病名は、適応障害と失語症。幼少期からの吃音の上に、言葉そのものを失う感覚が重なりました。
そのまま会社を辞めました。
2. ふらふらした一年
退職してから、1年間、何もしませんでした。正確には、何をすればいいかわからなかった、という方が近いです。
でも今になって思うのは、その1年は、無駄じゃなかったということです。答えを出さなくていい時間が、ちゃんと必要だったんだと思います。
3. Webデザイナーになって、日本を旅した
ふらふらしているうちに、Webデザインを独学で始めました。フリーランスとして仕事が取れるようになった頃、ふと、日本のあちこちを見てみたくなりました。
どこでも仕事ができる、という暮らしを、この時期に体感しました。自分の足で歩いた土地が、後の事業の拠点になるとは、まだ知りませんでした。
4. 宮島での40日間
旅の途中、広島でご縁ができました。宮島に40日間滞在しました。
朝の厳島神社を歩き、潮の匂いを嗅いで、島の人と話しました。「ここで、何かをしてみたい」。その気持ちだけで、移住を決めました。
5. 2年間の赤字と、3年目
宮島のそばにカフェを開きました。アレルギーを持つ人のためのカフェです。
最初の2年間は、赤字でした。3年目までは、ひとりで続けました。
誰も助けに来てくれない時期を経て、わかったことがあります。「大事なことだけを残して磨く」と、商売は続けられるということ。
グルテンフリー・アレルギー特化という「そぎ落とし」によって、自分が現場に立つ時間は週6日からほぼゼロになり、売上は数倍に伸びました。何より、笑顔で接客できる状態に戻れました。
6. 東京に戻った理由
スタッフを雇えるようになった頃、もうひとつの気持ちが顔を出しました。
大切な人と暮らしたかった。
仕事が回っても、プライベートが寂しければ、続きません。私は東京に戻り、店は人に任せることにしました。
「店主がいなくても回る仕組み」は、この時期に生まれました。それを体系化したのが、後のIPPOプログラムです。
7. 合わない場所で頑張るより、合う形をつくる
今、私は東京と広島の二拠点で暮らしています。
不思議なことに、自分で事業をして、小さな成功を重ねていくうちに、吃音の症状が少しずつ軽くなっていきました。事業が私を癒やしたのか、因果はわかりません。ただ、自分に合う働き方を選べたことと、無関係ではないと感じています。
IPPOで伴走するとき、大切にしていることは、いくつかあります。
- 売上を先に追わないこと
- 規格から降りる選択を、肯定すること
- 続けるために、引き算すること
- 半径5メートルから始めること
大きな成功より、長い継続を。目立つより、続くことを。
あなたの一歩が、無理のない歩幅でありますように。